このコラムを書き始めたのはいつ頃であったか思い出せません。かれこれ15年以上は続いているはずです。多い時で月2本、近年は月1本ペースで書いてきました。
当時は新聞販売店が発行しているミニコミ紙の「埋め草」にという軽い気持ちでしたが、その私もすでに定年で会社を離れ、70歳を超え1年が過ぎようとしています。そろそろ潮時かなと感じるようになりました。おいとまの季節がきたようです。
そういえばと思い出したのが60歳定年の折、社内報に掲載してもらった私の、退職挨拶記事でした。パソコンに残っていました。40年勤務した、サラリーマン生活最期の拙稿をお目に掛けてコラム最終回、「卒業」とさせていただきます。
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長い間、お世話になりました。サラリーマン生活も一区切りです。
この商売に入って、現場で取材していても、これまで一度も「新聞記者」と名乗らずにきました。
何か尻こそばゆい気がしていたのです。はたしてジャーナリズムとかマスコミという世界の一員たり得るのか、自信がなかったのです。
だからサラリーマンに徹してきました。労働を提供して、その対価をいただく。それで十分でした。
天下国家は論じられませんが、働く庶民の視点だけは失うまいと考えました。
若い頃の原稿を読み返すと、なぜか淡々と、いきり立った風情がありません。定年間際に書き続けた連載は「死」ばかりでした。
そういうサラリーマン人生だったのでしょう。
ふり返って、「楽しかった」以外の言葉はありません。
この会社へ導いてくれた大学の恩師、そして出会った、多くの先輩たち。
ひとりひとり名前を挙げ、ひとつひとつエピソードを書き連ねることは可能です。多分一冊の本になるでしょう。
彼らはだれもが人一倍親切で、思慮深くて、そして劇的でした。不完全な人間をひとり、世間並みの社会人に育ててくれました。
早々に、鬼籍に入った恩師、先輩。あなたが亡くなったとき、悲しくて天を仰いだら、あふれ出た泪が耳に流れ込んできました。
はたして先輩の分まで、仕事が出来たでしょうか。
今、そんなことを考えています。
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では皆様御元気で。さようなら。
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