数え日
「もういくつ寝るとお正月」―この童謡を口ずさむ子供も少なくなった。滝廉太郎作曲、東くめ作詞。東くめは、作詞に初めて口語を用いた先駆の人。「鳩ぽっぽ」「かちかち山」「雪やこんこん」など。
詞はこう続く。「お正月には 凧あげて こまをまわして 遊びましょう はやくこいこいお正月」「もういくつ寝るとお正月 お正月には まりついて おいばねついて 遊びましょう はやくこいこいお正月」。歌詞の一番は男子、二番は女子向けになっている。
「数え日」。先日、こんな言葉を見つけた。
作家の出久根達郎さんは、そのエッセー「隅っこの四季」(岩波書店刊)でこう記している。
美しい日本語の、ひとつであろう。
年末の、残り少ない日をいう。「もういくつ寝るとお正月」と子どもが歌う、その「いくつ」の日である。(中略)
師走に遣ってこそ、胸に響く言葉である。「押し詰まってきましたねえ」と挨拶されて、すかさず、「数え日になりました」と答える。あるいは、「せわしくっていけないね」と話しかけられ、間髪入れずに、「数え日ですものね」と返事する。(中略)
江戸っ子の主人(出久根さんの、集団就職先が古書店だった。その店主のことである)が、数え日と言う言葉には、もうひとつの意味があるよ、と教えてくれた。「三十日は数え日だから忙しい、という風に遣う。つまり書入れ日」「お金を数えるんで、数え日と言うんですかね」と番頭さんが言った。
山本夏彦さんは、かつての大晦日を述懐する。
(戦前の)現金の時代には大晦日があった。滞った勘定は何が何でもこの日までに払ってもらう。商人はかけ取りに歩いた。電車の終夜運転はこのためにあったのである。
「歳末非常警戒」といって暮れが迫ると巡査が要所要所を固めて、提灯をかざしてタキシー(タクシー)の室内をうかがった。
「数え日」になると夜っぴて現金を持ち歩いているのに泥坊にあったと聞かないのはこの警戒のせいかもしれない。昭和十年代前半の治安は今と同様よかった。
(「ひとことで言う」山本夏彦箴言集・新潮社刊)
我が身を振り返れば人生も終盤、「数える」のはいずれ訪れるであろう「その日」である。人間の「数え方」は多彩で、生きているときは「人」「名」だが、死んだ後は「体」、柩に入ったら「基」、骨壺は「口(こう)」、位牌は「柱」。墓は「基」。その姿・形によって数え方が変わる。ではお尋ねいたします。人生の「数え方」は?
「一回」。一回きり、なのである。 【石井秀一】
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