集団でトワの眠りに
グリム童話に「寿命」という話がある。
以前読んで印象に残ったのであろう、パソコンの備忘録に遺されていた。その文章、解説文の出典が判然とせず、たぶん誰かの、何かの引用であろう。あらかじめお断りしてご紹介したい。神様が世界を創ったころのお話である。
神様は動物たちに30年の寿命をやろうといった。しかしロバは、重い荷を運び続けるには長すぎる時間だと18年、削ってもらった。イヌは、そんなにいつまでも元気に走り回れないと12年、減らしてもらった。そしてサルもまた、陽気な馬鹿をやっているには長すぎると10年ばかりを神様に返上したのである。
ところがヒトは「自分の家を建て、田畑に実りをもたらし、カマドの火が燃え盛ってこれから暮らしを楽しもうというときに何故死ななければならないのか」と嘆き、神様に、ロバの18年、イヌの12年、サルの10年をもらえないかと頼んで、70年の寿命を受け取った。
だからヒトは、初めの30年については人間の寿命を元気に生き、仕事にも喜びを見出して生きる。ところがその後は、へこたれながら重い荷を背負うロバの18年、走る元気のなくなったイヌの12年、そして最後に、間の抜けたことをするサルの10年を過ごすことになったのだ、と。こういう話である。
それにしてもロバもイヌも、あのサルのなんと賢明であることか。分をわきまえるとはこのことであろう。愚かなヒトは「人生70年」どころか100年の現実にうろたえる。
作家・山田風太郎がかつてこんなことを話したことがある。一部不穏当な表現があるが時代性を鑑みご容赦願いたい。
「僕のアイデアでは、ボケ老人を一堂に集めて、集団でトワの眠りについてもらう。毎年八月十五日に戦没者追悼式を行う日本武道館か、いやこのセレモニーのために五階建てくらいの、森厳豪華きわまる神殿を造ってもいいかも知れない。そこに花をつめた柩をびっしりならべて、そのなかに横たわってもらう。そのうちガスがしずかに全館を満たす…」
それは強制ですか、と問われると「いや志願だ。六十五歳になったとき、将来ボケてクソジジイ、クソババアの徴候があらわれたら、この国家的葬送の儀に参加させてくれという登録をしておくんだ。自分の排泄物の始末もできない状態になってまだ生きていたいと思わないひとは、さぞ多いだろうからね。どうだい」。
本人はかなりの批判を覚悟したというが、手元に届いたのは意外や好意的な反応であった。そうだろうね。
5月は私の誕生月。69歳になる。そこで国営安楽施設≠フ建設を切に希望する。「人生70年」どころか、残り30年はどうにも自信が持てない。 【石井秀一】
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