酒と、さようなら
三月弥生。別れの季節というが、定年退職してみると季節の行事に疎くなる。
勧 君 金 屈 卮
満 酌 不 須 辞
花 発 多 風 雨
人 生 足 別 離
掲げたのは「勧酒(かんしゅ)」。中国・唐の時代に存在した詩人、于武陵の作品の一つだ。「別れ」がテーマで、人生及び人の世を「花に吹く嵐」に例えている。 以下の、井伏鱒二の意訳ですっかり有名になった。
この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
「さよなら」だけが人生だ
酒と言えばこんな「さようなら」もある。
「明日もあるからではなく、今日という一日を満々と満たすべく、だらだらではなく、ていねいに、しっかり充分に、呑む」
「呑まなければ、もっと仕事ができるし、お金もたまる。たぶんそうなんだろう。なんてことのない、一日に、感謝して、ほほ笑んでいる。間に合わなかった仕事、ごめんなさい。おいしいお酒、ありがとう。今日も、ちゃんと酔えて、よかった。明日間に合うね、きっと」
「家族だけでなく、友人や知人で、いっしょに食べて、おいしいひとは、自分にとって、たいせつなひとだ。そんなひとがいる限り、ひとりで食べる食卓は、けっして淋しくないはずだ」
「腹を満たすのではない、時を満たすのである」
「ともあれ、『さようなら』は、いつも唐突」
「オレはお前(私)が真っ先に逝くとみたがな。いつも忙しそうだったし、不規則、暴飲暴食を自慢していたからさ」とはYは笑った。 (杉浦日向子「憩う言葉」)
長引くコロナ禍。酒も縁遠くなった。断った訳ではないが、格別に欲しがることも無くなった。私は「酔いたいから」「人恋しいから」飲んでいたのであろう。酒を心底、愛していたわけではなさそうだ。だから「さようなら」もあっけない。
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