Kと「すぎやまこういち」
中学生の頃、エレキギターにはまった。担任の女性教師(音楽担当であった)は私を職員室に呼びつけ「エレキは不良です!」と面罵した。まぁ、当時の常識であった。もちろん聞く耳など待ち合わせるはずもなく、ペロリと舌を出しせっせとバンドを組んだ。
リードギターは「天才ギタリスト・K」(その後、エレキの神様・寺内タケシに認められプロになった)で、サイドギターは長身で甘いマスクのY。ドラムは町工場のドラ息子Tで「親父にねだってフルセットを買ってもらえよ」と唆(そそのか)したらシンバルとスネアだけは調達してきた。ちなみに私はベース担当だが、ただただ女の子にもてたいという不純な動機でメンバーに連なった。
ある年の12月、地元教会からクリスマス・ダンスパーティの演奏を頼まれた。毎週土日に多摩川河川敷でエレキをぶっ放していたから、その評判を聞き付けての依頼であろう。そのくらいの人気はあった。「天才ギタリスト・K」が注目されたのである。
午後7時ころから未明まで弾きまくった。もっとも中学生バンドの曲目は乏しく、ベンチャーズのナンバー、あとはもっぱら沢田研二人気のザ・タイガースなど10曲も無かったと思う。仕方ないので同じ曲を何度も繰り返して舞台をつとめ、それでよかった。
今年9月30日、作曲家・すぎやまこういちが亡くなった。新聞は「ゲームの『ドラゴンクエスト』シリーズなど、幅広いジャンルの音楽を手がけてきた」と伝えたが、私のすぎやまこういちは60年代のザ・タイガース「君だけに愛を」「シーサイド・バウンド」、ヴィレッジ・シンガーズ「亜麻色の髪の乙女」など、懐かしのGS時代である。
著書は少ないが、例えば「やさしい作曲入門」(復刊ドットコム)がある。
「作曲家っていい職業だね。たったの五分間で、うまくゆけば高額収入が見込める」との問いにこう答えている。「それは五分間ではなく、五分間プラス四十八年なのだ」と。四十八年は執筆時の、彼の年齢である。
「五分間に一曲作ることができるのは、生まれてから今までの年月、四十八年が積み重ねられているからなのです。もし、あなたが二十一歳であるならば、五分間プラス二十一年ということになるのです。そしてこの二十一年間の間に、その人がどれくらい感受性を磨くことができたか、五分間の土台となる人間性はどれくらい磨かれてきたのかによって、五分間の価値が決まってくるのです」。感受性を養うのは音楽以外の、絵画であり文学であり、生きて行く上での森羅万象であろう。
冒頭の、「天才ギタリスト・K」は68歳の今も現役である。数年前、六本木・文学座裏のライブハウスで50年ぶりに再会した。体型も性格も、音も豊かになっていた。
「ギターの巧いヤツなど世間には掃いて捨てるほどいる。肝心なのは感受性なんだよ」
すぎやまこういちと同じ、言葉を口にした。
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