大谷翔平と「東京」集中
こんな一冊が目に留まった。紹介しよう。
「現在米国の大リーグで活躍している代表的な日本人を三名挙げるなら、ダルビッシュ有、田中将大(現楽天=この本が書かれたのは昨年である)、大谷翔平ということになるが、かれらはいずれも東京に住んだことがない」
「世界でも前例のほぼない二刀流に挑んでいる大谷の場合、岩手県奥州市で育ち、花巻市で高校に行き、札幌市でプロ野球選手になった」
「そのキャリアの中でもし、いわゆる都会の名門高校、名門大学、伝統球団といわれるようなところを経由したなら、投手か打者かいずれかに専念するように、必ずや伝統的な指導をされていただろう」――。
「コロナ後の世界を生きる―私たちの提言」(村上陽一郎編・岩波新書)を読んでいる。その中の、藻谷浩介氏「新型コロナウイルスで変わらないもの・変わるもの」の記事に上記のくだりがある。
「コロナ後」と大谷翔平がどこで結びつくのか。
つまり「巨人でなくてはプロ球団ではない」というような時代が、仮にあったとしても何十年も前の話だ。実はビジネスの世界も同じで、東京の大企業を経由することは必要でも不可欠でもない、と藻谷氏は言う。
つまりコロナ禍は、経済の東京一極集中見直しの契機になるのではないか。その問いかけを大谷翔平に例えた。なるほどとうなずきながら読んだ。
もう一人。建築家・隈研吾氏は「コロナ後の都市と建築」でこんなエピソードが紹介している。彼が手がけた国立競技場は当初、コンペを勝ち抜いた外国人設計士によるものであった。それが神宮外苑の景観にそぐわぬという運動が起こり覆され、さらに建設費削減を理由に、天井は架けないという結論となった。
「もしそのときの政治的、社会情勢がもたらした一種の偶然とするならば、この風通しの良いスタジアムは偶然の産物ということになる」。スタジアムは木でできており、中層の庇(ひさし)には植物が植えられた。緑は成長し、実をつけ、花を咲かせる。風通しの良いそこは「疫病の後に、庭のようなスタジアムが使われることで、偶然は必然へと変身を遂げた」と隈氏は語っている。
「ハコからの脱却」。これが彼の語る「コロナ後」である。
超高層ビルに代表される大きな「ハコ」で働き、郊外から遠路通勤する人がこの世紀ではエリートとされた。一方「ハコ」は人を自然から隔離し、巨大施設はその維持に多大なエネルギーを必要とする(例えば空調ひとつ取り上げても)。リモートを含めた新たな新様式は「コロナ後」の東京一極集中、その不自然を訴えている。
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